「葬儀の意義」
先日、葬儀をお勤めした折、葬家の依頼された葬儀社と少々の合間会話をいたしました。
何分にも慌ただしい中で、その会社の全てなどわかり様もありませんでしたが、その葬儀社の担当職員の品位と職務に取り組む実直な態度は、積年に渡り法務を勤める中で「これはいい業社だ」との感触を得ました。
真実ひとつの葬儀を執行するということは、あらゆる職域の人が幾重にも関連して成し遂げ営まれるものであります。そうした諸連携の人々の心根の中に業務的、歯車的に終始したり、金品の収奪心丸出しにしている者も少なからず存在している様でありますが、その様な場合、一通り葬儀が滞りなく終了したとしても、真実の上で故人の菩提を弔ったという意義の成就や故人の生命というかけがえのない“人類が有史以来凝視して止まなかった人生観・生命観・宗教観に徹した御霊への慰霊”が執行されたとはいいがたいのであります。この様に葬儀というものが故人の命に対して慰霊の念を捧げるという心的行為が大前提にあり、親族・遺族・故人の関係者はもちろんのこと、葬祭に纏わる人々も故人への慰霊の念という物的存在として計れない領域部分の認知と心根を最も優先し大切にしなければならないのであります。
こういった正しい心的行為(観念)とそれに伴う動的行為(葬儀式)という慰霊を亨けて、次に故人の死というものが故人のみの死ではなく、生前故人を取り巻いた社会にとっても共有されうる「社会の死」となるのであります。例えば故人が生前活躍した社会ではその故人なしではその社会が成立たないという社会機能の麻痺や停滞現象を生んでしまうことも間々あり、その様な場合社会は慰霊的祭事(ここでは儀式的行為のみを指し心的行為は含まない)を行い、その社会の変革期を人々に周知させ、安定を計り、世代交代を行って社会の機能を維持させるのでありますが、こうした社会的役割も葬祭儀礼の分野は担っているのであります。
幾度もしつこく繰り返し述べますが、故人の御霊を弔うという慰霊の念を捧げる心的行為が第一義に是非とも大切であります。もしなかったならば、葬儀というものは、共有する社会維持の為または、単なる親戚筋や地域の面子での為、金品収奪の行為ぐらいに直ぐ変化し終止してしまう性格のものであります。
こうして観ると葬儀というものの概念は大きな三層を常に持ち続けますが、第一に故人の無始無終の命への報恩感謝と、故人のこの度の人生の終止符を覚ってもらうお知らせの行為(合わせて慰霊という。)を第一義にし、第二に共有する社会の維持安定・世代交代、第三に生理的現象として朽ち果てていく遺体を処理していく行為であるとまとめることができます。
最後に人類の祖といわれるネアンデルタール人の時より、人間は人の死を弔ってきたといわれていますが、古代より現代に至るまで膨張し拡大し発展し、又収縮、拡散し破壊を続けてきた人類文化史の中で最終的に不可触な存在である「死」という問題を抱えながら行われてきた葬祭儀礼は実に深く、長い時を経て現代人にまた深く一考を迫り止まないのであります。そういった中で当社の設立の紹介依頼を受け、現時点で知る限りにおいては、真摯に地元地域に根ざした葬祭儀礼文化の構築をしてまいりたいとの意向に感をうけ茲に「葬儀の意義」と題し紹介の文面を認めさせていただきました次第であります。
各位の方々におかれましては、上筆いたしました葬儀の意義の大意を参考にされまして、めまぐるしいスピードで変化していく社会生活の中、常ならざる身近な方の死とまた自らの死というものを見つめていく契機を得ることの重要性を実感していかれる一助となればこれに勝るものはありません。以上謹んで申し上げました。
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